「台湾の首都はどこですか?」
この質問をされた台湾人は、大抵迷わずに「台北」で答えるだろう。それなのに、2015年、教育部が「課程綱領」(日本の学習指導要領相当)を、より中国文化史観の方向で改訂したため、首都についての論争が起きてしまった。恐らく、これはただの首都所在地の争いではなく、台湾社会における最も深刻な、複雑な国家アイデンティティーが、課題として浮かび上がってきたのだろう。
制憲過程を見れば、1930年代に適用された「訓政時期約法」、「五五憲法草案」には、「中華民国の首都は南京」で記載されていたけど、1947年に正式な憲法の制定により、臨時的な方案はもう廃止された。今の中華民国の憲法をじっくり読めば、実は首都所在地が明記されていない。そのため、中央政府の所在地が首都という一般的な認識に沿って、今台湾の首都は台北だと社会に理解されている。
その他、国家情報についての政府の英語出版物にもTaipei City がCapitalだと書かれている。国内だけではなく、外国との条約や国際慣例の中にも、台北を首都とする根拠が現れている。習慣として、駐外機関・代表所は当然ながら他国の首都(または中央政府の所在地)に設置されているし、首都と姉妹都市を締結すると言えば、必ず台北がその対象となる。
それにもかかわらず、「中華民国の首都が南京、台北は中央政府の所在地」という見解もある。何故ならば、憲法に「中華民国の領土はその固有の疆域による」と規定されているからだ。今まで領土についての変更もないし、首都の廃除もなかったので、管轄地域の変化があっても、首都が南京のままだという発言も、理不尽な主張ではないと考えられる。
首都の所在地、その答えはいかにも当たり前に見えるが、当たり前すぎて、私達はお互いの相違さえ問わない。「台北」と「南京」の違いが発生する、根本的な理由が見当たらないのも当然だ。当たり前すぎて、私達が多様な国家アイデンティティーがこの国にあることについて、想像力で分岐を統合することもできなかった。
今まで、植民地の歴史や政治の圧迫により、台湾は現実逃避の弱虫になっていたかもしれない。そうであっても、身につけた皮を何度も何度も脱ぎ捨てて、成長していく。台湾のことをちゃんと知りたい、理解したいと願う若者たちは、そのために、陳腐な教育と戦ってきた。総統選後には、首都と立法院の移設について、首都の経済的、文化的な力を他の都市にも活用する等の議論が始まった。
今はささやかだけど、今後台湾は当たり前という繭を破って、政治の想像力を羽として、美しい蝶々の姿で空を飛ぶ。
「台湾の首都はどこですか?」
これが我々のファーストステップだ。