今日は、日本の皆さんがきっと詳しく知らない、若い人であれば聞いたことがないかもしれない台湾省政府を紹介させて頂きます。今、実質的権力が全てなくなり、台湾の盲腸のような存在になった台湾省政府は、両岸の政治問題、そして国共内戦という歴史的背景と密接に繋がっています。1945年終戦の後、台湾が日本の植民地から中国領土の一部になり、1947年に台湾省政府を設けました。そのとき台湾省政府は、台湾での最高行政機関であり、中華民国(当時は中華人民共和国は存在しない)の一地方政府でもありました。1949年に国共内戦で国民党が敗戦し、国民党が指導した中華民国政府は台湾に撤退し、中華民国政府と従来からの地方政府「台湾省政府」の支配範囲がほぼ等しくなりました。この時点から1980年代末までの国民党政府の政策は、大陸への反攻が中心で、権威主義の独裁体制を行い、行政機関間の水平なコミュニケーションと効能が重要視されませんでした。
1990年代には、台湾の民主化に従い、台湾省長という省政府の行政首長と中華民国総統が、直接選挙で選出されることになり、この二人の職責と民意代表性が重なることにより、国民からの注意が喚起されました。ですから1997年に、台湾国会が憲法を改正し、省政府の組織と担当する業務を簡素化し、台湾省政府は、行政院管轄下の一組織になりました。省の実際な自治功能が無くなってしまい、この組織改造は「精省」(精神のせい)あるいは「凍省」(冷凍のとう)と言いました。
今台湾省政府の存在について、台湾社会から批判の声がよく出ています。この盲腸のような組織には、毎年役1億台湾ドル(2023年7月:4億5千万円弱)の国家予算がかかっており、もちろん国のお金は国民の税金、不満の声も多くあり、省政府廃止を主張する声も時々聞こえます。しかし、省政府の存在は、今台湾の憲法と繋がりがあり、廃止するかどうか、簡単に答えられる問題ではありません。